8月6日「広島平和記念日」の由来と歴史について
2019/11/13
第二次世界大戦で、原子爆弾が日本に投下されました。
その被害を受けたのは広島と長崎です。
広島が原爆の被害にあったのは、1945年(昭和20年)8月6日8時15分17秒。
今でも黙とうのサイレンが鳴り響きます。
この日は広島の人だけでなく、日本国民が忘れることのできない一日として、今でも歴史に残っていますし、語り継がれています。
今回は「広島平和記念日」の由来と歴史についてお話しします。
「広島平和記念日」の由来と歴史
1945年(昭和20年)8月15日正午、第二次世界大戦での敗北を日本が認めたことにより、戦争が終結しました。
そのきっかけになったといっても過言ではない出来事が、原子爆弾の投下です。
日本では、広島県と長崎県に落とされました。
広島に落とされたのが8月6日です。
記念日の由来について
「広島平和記念日」はこの原爆投下の日を忘れないように、戦争で傷ついたり、命を失った人々に思いを馳せることを目的として、戦争が終わってもこの悲劇を風化させないように、未来に向けて平和を唱えていくために制定されました。
毎年この日には、平和を祈念するイベントや活動が行われています。
歴史について
昭和20年8月6日8時15分17秒、この時アメリカ軍のB29戦闘機が原子爆弾「リトル・ボーイ」を投下しました。
この爆弾は高度580mで炸裂したそうです。
この一瞬の爆発によって、30万人の命が一瞬で奪われました。
この原爆開発に携わっていたのは、あの有名なアインシュタインです。
当時、アインシュタインはこの兵器をドイツが開発中であるとアメリカ大統領に進言し、ドイツよりも先にこの原子爆弾をアメリカが手掛けるべきだと勧めました。
そして、この兵器を作る計画「マンハッタン計画」が進められました。
1945年(昭和20年)の夏ごろまでには原爆が製造できる見込みがたって、ドイツに対抗するために開発されていました。
しかし、計画が進行する中でドイツが降伏してしまったのです。
そうなると、矛先はまだ戦いつづけていた日本となりました。
実は日本に投下される前に実験的に爆発をためされていました。
計画を進めてきた科学者たちはあまりの威力に連名で原爆投下の中止を大統領に訴えたのですが、トルーマン大統領はこれを拒否。
とうとう日本への投下に至ったのです。
原爆投下の目的地としては、候補が4つあり、
広島・小倉・長崎・新潟
の順番でした。
広島に落とされた目的は「実験的」な要素が大きかったようです。
爆弾の威力を知るために、わざとその前には空襲を行わず、街並みを温存していたほどです。
広島での原爆の死者は当初1万5千人と言われていましたが、その後も少しずつ増えていき、現在では15~20万人と推定され、放射能被害で亡くなった人を合わせると30万人に及ぶと言われています。
多くの被害を出した広島の原爆投下です。
今できることは、平和を祈ることと、この悲劇を繰り返さないようにすることです。
戦いは何も生みません。
みんな仲良くする。
そんな当たり前のことが普通になる世の中であってほしいものです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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