5月12日「ナイチンゲールデー」「国際看護師の日」の由来と歴史、ナイチンゲールってどんな人?
2019/11/13
「白衣の天使」と言われるナイチンゲール。
戦場で身を粉にして働き、ケガをした人たちの手当を行い続けたナイチンゲールのことはご存知ですか?
医療現場で患者さんのために働く「看護師」と呼ばれる人たちの、看護をする、手当をするという概念や心構えなどは、このナイチンゲールの存在があったから確立されたものといっても過言ではありません。
5月12日はたくさんの看護師関係の記念日がありますが、それはナイチンゲールデーに由来しているのでしょう。
今回は「ナイチンゲールデー」「国際看護師の日」などの由来や歴史、ナイチンゲールとはどんな人だったのかについてお話しします。
「ナイチンゲールデー」「国際看護師の日」の由来と歴史
記念日が同じ日ですので、それぞれに見てみましょう。
ナイチンゲールデー
1820年5月12日がナイチンゲールの誕生日だったからこの日になったようです。
ちなみに1991年から日本でも「看護の日」という記念日が同じ5月12日に制定されています。
看護師の社会的地位の向上に貢献したナイチンゲールを称えた記念日です。
国際看護師の日
国際看護協会(ICN)が1965年に制定しました。
2002年の3月に「看護婦」の呼称が「看護師」に変更されました。
それに合わせて「国際看護師の日」と改称されましたが、それ以前は「国際看護婦の日」と呼ばれていました。
ナイチンゲールについて
ナイチンゲールは、イギリスの名門貴族の娘として生まれ育ちました。
幼い頃から何不自由ない暮らしをしていたナイチンゲールにとって、自分より貧しい暮らしをしている人を見るたびに、金持ちと貧乏な人がいることに疑問を持ち続けていました。
やがて成人したナイチンゲールは、両親の反対をおしきって看護婦になりました。
当時は、看護婦という仕事の地位はとても低く、どこも働くところのない女の人が仕方なくやっているような状況でした。
しかし、看護師の仕事がどんなに大切なものなのかを深く理解していたナイチンゲールは、一生懸命働き、ロンドンの病院の看護婦長にまでなりました。
時は1854年、「クリミア戦争」が起こり、イギリス・トルコ・フランスの連合国とロシアが戦いました。
この戦争によってたくさんの兵士が亡くなり、傷つきました。
負傷している兵士に対して、医者や看護する人が少なく、包帯も薬も足りません。
手当を受けていれば助かる人でさえ死んでいくのです。
この悲惨な状態が新聞記事で発表され、ナイチンゲールの目にもとまりました。
あまりの負傷兵のひどい扱いに世論も沸騰し、事態を重くみた戦時大臣がナイチンゲールに看護師として戦場に行ってくれるよう依頼します。
ナイチンゲールは大臣に手紙を書き、他にも看護師として志願してきた人の中から38人の女性を選んで戦場へと赴いたのです。
その内訳はシスター24名、職業看護婦14名であったとのこと。
行った先の病院は粗末な設備で、環境もひどいものでした。
環境は不衛生で、必要な物資も供給されていなく、現地の軍医長官たちは行政がらみの意図から看護婦団の従軍すらも拒否しました。
ヴィクトリア女王は戦時大臣に対して、ナイチンゲールからの報告を直接自分に届けるように命じ、その旨を戦地の病院内に貼り紙し、それによって、拒否していた勢力に対しても無言の圧力を与えました。
ナイチンゲールはそれによって元気づけられ少しずつ病院内の環境を整えていくようになります。
まずは、誰も、どこの部署も行っていなかった便所掃除から手をつけ、現地の仕事内容に入り込んでいきました。
まずは病院内をきれいに衛生的にすることから始め、傷を負った兵士たちを毎晩かかさず見回りしました。
ランプの明かりをもって見回るナイチンゲールのことは「ランプの貴婦人」とも呼ばれました。
「白衣の天使」「クリミアの天使」「ランプの貴婦人」などと呼ばれたナイチンゲールですが、本人はそう呼ばれることを喜んではいなかったようです。
「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」
というのはナイチンゲールの言葉です。
のちに調べられた結果、負傷兵が死んでいった原因は、傷によるものよりも、不衛生な中で感染症を起こしてしまったというものが大多数をしめていたそうです。
戦争が終わってナイチンゲールは英雄扱いされることを好まず、スミスという偽名を使って帰国しました。
その後の生涯は看護における情報や統計の資料を作るなど、統計学の先駆者としてのほうが有名です。
ナイチンゲールが看護師として活躍していたのはクリミア戦争のときの2年間がメインだったようですね。
37歳のときに心臓発作で倒れてから亡くなるまでの50年間はほとんどベッドの上で過ごしていました。
1910年8月13日に亡くなりました。
看護師の勉強をしていると、「ナイチンゲール」についても学ぶ機会があるようです。
それだけ、ナイチンゲールの存在は後の看護という概念に大きく影響したといえます。
看護の基本は「手当て」とも言います。
何も医療の技術がなくても痛いところに「手を当ててあげる」痛い場所を「さすってあげる」だけでも気持ちが安らぐものです。
今日は家族に暖かい気持ちで接する一日にできたらいいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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