12月14日「忠臣蔵の日」の由来と歴史、忠臣蔵のあらすじについて
2019/12/21

引用)https://toyokeizai.net/articles/-/317151
浄瑠璃や歌舞伎、テレビの時代劇で取り上げられる題材に「忠臣蔵」があります。
忠義の心を表現した「忠臣蔵」は日本人の心に響きます。
時代の流れで争いや主人の仇をとるようなお話は数多くあるのに、「忠臣蔵」はなぜこれほどまでに取り上げられているのか不思議ですが、その理由は日本人が好きな人情にあつい物語だからでしょうか?
忠臣蔵はその名の通り忠臣(忠義な臣下(家来))の話を題材にしたお話しです。
この記事では「忠臣蔵の日」の由来と歴史、忠臣蔵のあらすじについてお話しします。
「忠臣蔵の日」の由来と歴史
1703年(元禄15年)12月14日(1703年1月30日)に赤穂浪士(四十七士)が吉良上野介邸に討ち入りした日にちなんだ記念日です。
この日歴史的討ち入りが果たされた日になります。
ここまで来るのには長い時間と用意周到な準備があったのです。
その内容については「忠臣蔵」のあらすじにてご紹介します。
引き続きお読みくださいね。
忠臣蔵のあらすじ
事の発端は浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)という自分より立場が上になる武士にいじめらればかにされたことです。
問題の事件が起こった場所は江戸城。
江戸時代には毎年お正月になると天皇の使者である勅使(ちょくし)をお迎えするという行事があり、その接待する役目を赤穂の藩主である浅野内匠頭が請け負いました。
若い浅野はしきたりなどや伝統をよく把握できてないため、風習に詳しかった吉良上野介に指導をお願いします。
そこで吉良は色々とアドバイスをしますが、その内容が急に変更されたり、追加の準備を必要とするものばかりで、浅野が対応に追われ大変な思いをしたり恥をかくのです。
そのような意地悪が続いたため、浅野はとうとう我慢ができず、1701年3月14日に吉良に対して斬りかかってしまうという事件を起こします。
場所は江戸城本丸の松の廊下(松之大廊下)です。
事件の取り調べに対して吉良は身に覚えがないと言い、浅野は個人的なうらみであったと話したので詳しい動機などは記録に残っていないそうです。
当時江戸城では刀を抜くことが禁止されていたうえに、勅使を迎える儀式の中でも一番大事な日であったために幕府の柳沢吉保らは浅野に対して切腹を命じました。
当時浅野の年齢は35歳であったとのことです。
浅野の切腹は当時浅野が預けられていた田村建顕の屋敷の庭先で行われました。
吉良に斬りかかって、切腹させられるまでの時間も短く(その間が4~5時間)大名という身分の高い自分たちの主が庭先で切腹させられたことはあまりにもひどい扱いであったと家臣の赤穂藩士はショックを受けました。
本来は「喧嘩両成敗」と言って、どちら側にも同じ罪を問うのが本当だったのですが、幕府の出した結論は吉良にはおとがめなし、浅野家にはお家断絶というお達し。
浅野家の残された家臣の中では幕府に対抗してお城に籠城しようとする者と幕府に城をさっさと明け渡そうとする者に分かれます。
ここで登場するのが赤穂藩の筆頭家老である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)。
籠城して殉死を希望した藩士から血判書を受け取り赤穂の城を幕府に明け渡しました。
そのときに幕府に対して吉良の処分を幕府に求めました。
その後大石内蔵助に従った赤穂藩士は浅野家を何とか再興しようと頑張りますが、1702年7月8日に浅野大学は広島藩のお預かり処分となったため、赤穂藩の再興というのぞみは絶たれました。
大石内蔵助は吉良を打つことを決め、同志を江戸に集めます。
しかし同志の中には収入がなく、貧乏になってしまって脱落したり命がおしくなり脱落したものも出てきました。
最終的に残った47人の赤穂浪士が1702年12月14日深夜から15日未明にかけて雪の中、火消し装束を身に着けて吉良邸に討ち入りました。
もともと討ち入り対策に多くの浪人を雇っていた吉良ですが、うち居られたのが早朝であったことなどで寝起きでうまく対応できなかったりしたこともあり、2時間の死闘の中で最後の最後に炭小屋に隠れていた吉良を討ちとりました。
当時の吉良上野介は62歳でした。
主君の仇をとった赤穂浪士の行列に江戸の庶民は拍手喝采だったのですが、幕府としては武士道としては素晴らしい所業だったとしても、幕府を恐れない不届きな行為であったとして1703年の2月3日に切腹が言い渡されました。
赤穂浪士たちは切腹後主君の墓の周りに埋葬されたとのことです。
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